2022-06-17

アトムさん便り「瓜生良介氏の没後10年を記念したイベントへの寄稿」

 快医学今昔物語メモランダム(中南米編)  

            コロンビア 2022年6月10日  by Atom  
            bioatom11@hotmail.com      

瓜生さん  2012年9月死亡(享年77歳) 今のぼくの年齢 
      巷では演劇の演出家*変わりものの鍼灸師として知られていた
      アングラ演劇 寺山修二の天井桟敷 黒テント 赤テント 「発見の
      会」立ち上げ 60年代、70年代は世界中 革命の熱気にあふれていた
出会い ・1983年頃 西荻窪で瓜生さんの快医学セミナー見学(のぞき見)
    ・1984年頃 Atom 西ドイツ在住 1982-1984 ベルリン自由大学
     ニカラグア行き(話) 居酒屋で一杯やりながら 意気投合
    ・1985年1月1日 Atom ニカラグア着(内務省、厚生省、大学病院) 
瓜生さん・とてもいい人 親切で面倒みよい なんでも聞いてくれる 親分肌 和装
Atom  ・1985-2002年まで17年間ニカラグア滞在 その間長年の夢であった「ニカ
     ラグア自然病院村」プロジェクトに携わる。農業をベースにした総合リハビ  
     リプロジェクト(戦傷者、難病者主体) 鍼灸、食養、運動、リハビリ、職
     能、文化活動。 Atomニカラグア厚生省から医師免許授与さる(1986年)
快医学  1990年11月、瓜生さんを招いて内務省厚生省共催「第一回快医学セミナ
     ー」(レオン市)。「ニカラグア自然病院村」はサンデイ二スタ革命の「国家プ
     ロジェクト」として認証されていたが快医学を巡って内部対立が生まれた。鍼灸
     をベースにするか快医学をベースにするか。ぼくは従来鍼灸をベースに構想した
     が快医学を知ってそちらに方針転換した。当時あった43の「自然病院村支援グ
     ループ」とはそれがもとで決別した。大半は日本のグループであった。ぼくはそ
     の後厚生省命令で個人的には尿療法とO-INGTESTの使用をを禁じられ後には大学
     病院を解雇された。ぼくは禁止命令に抗して(財)「ニカラグア自然病院村」の
     存亡をかけニカラグア、中米各国、メキシコ、キューバ、ブラジル(後に南米大
     陸全体)を尿療法、O-RINGTESTを含む快医学で押しまくった。ニカラグアの本

拠地はぼくの右腕だった山本善生君とチャコン医師に任せ年間8か月は国内外セミナ
    ーに没頭した。レオン市内の一角を占める快医学の自然病院村クリニックは診療費
    一律10ドル(ない人からはとらない)だったが国内外から人が押し寄せ米国が支
    援する反政府コントラ軍とのしのぎを削る革命戦争、戦時超インフレの真っただ中
    で年間2万ドルの以上の黒字を出した。カトリック教会の最左派「キリスト教基礎
    共同体」が全面的に支援してくれた。本拠地「自然病院村」には10年間で280の
    中南米各国の同志を招き(旅費のない先住民や農民の同志には旅費も出して)スー
    パードクター養成、各国での快医学の足腰を強化した。こうして「自然病院村」快
    医学は大陸規模で普及した。その勢いで同時に民衆の自立した本物の「健康運
    動」”生きる喜びBIOHEALTH運動”を中南米全域、アフリカ8か国、欧米諸国、日本
    にまで伸ばした。1990年ダニエル・オルテガの「サンデイ二スタ民族解放戦線」
    (FSLN)が保守派のビオレッタ・チャモロ(UNO)に選挙で敗れ激動の時代は続いた。そのお陰で? 尿療法とO-RINGTESTの「禁止命令」もふっとんでしまったの
    は幸いだった。ニカラグア自然病院村の活動は順調だったが1998年自然病院村
    でサンデイ二スタ・メンバーによるクーデター勃発。Atom ら5名の創立メンバが
    追放された。(註)。続いて中米エルサルバドルでロメロ大司教がミサの際暗殺さ
    れたカトリック系癌病院(聖プロビデンシア病院)でぼくはこの病院の三代目医療
    世話人だった。そしてこの大きな病院を世界快医学の拠点にしようと考えていた。
    しかし管理部門世話人のナースに裏切られここでも挫折、敗北。やっと目が覚め
    た。中米カリブ海におけるぼくの使命は終わった、と。そして2002年、南米コ
    ロンビアに移住した。アンデス山脈での仕事もひとつの夢だった。 


註)  中南米での被解雇歴(仕事の失い方) 極めてラテン的、僕はラクテン的!


1973年 突然の出国命令でキューバ、ラスビージャス中央大学体育局(柔道、           
         一般体育)での仕事を失った。キューバ人の妻は当時妊娠3か月であっ
     た。僕は子供が12歳になるまでキューバに入れなかった。(CIAのス
      パイ問題が絡んでいた)
1985年 ニカラグア内務省病院(マナグア)で同僚ホセ・ベニート医師の
      嫉妬で内務省の仕事を失った。だが当時国内にあった4つの野戦病院
      から勧誘があり、最終的に鍼灸の弟子であった厚生省(レオン市)オ
      スカル・ダニロ大学病院の8名の医師の招きで大学病院に就職した。
1990年 ニカラグア厚生省の禁止命令に従わず尿療法やO-RINGTESTの快医を
          実践していることが真相。さらにぼくの西語の無知で大学病院解雇の
          承諾書にサインしてしまった。僕は当時当たり前だった給料遅配の承
          諾書サインだと勘違いしていた。でもその時は自前の(財)「ニカ
        ラグア自然病院村」クリニックを持っていた。仕事が少なくなって
        助かった。
4)1998年  自分が創立した「ニカラグア自然病院村」クリニックで自分が招集
        採用したサンデイ二スタ系同僚のクーデターで職を失った。これは辛か
        った。「自然病院村」はその後崩壊過程に入る。
5)1998年  さらに、先に述べたようにエルサルバドルの「聖プロビデンシア癌 
        病院」での医療世話人の立場を管理部門のナースの裏切りで失っ   
        た。彼女は尿療法やワケのわからない快医学を実践されるより同病
        院を「国立病院にしたい」若い内科医の提案とその” 愛 “を選んだ。
        この大きな病院(2階建て3棟ある)を世界快医学の拠点にするため
        3年間にわたり80名の人材を養成した。米国のカトリック財団から
        は年間3万ドル(3年間継続)寄金を受けることもご破算になった。
        しかしどんな理由であれ、仕事を失うたびにぼくはさらなる自由を
        手に入れた。 

快医学から”生きる喜び” Biohealth へ
   千年世紀の変わり目、西暦2000年に南米エクワドルのクンバヤ渓谷で「第一
   回BIOHEALTH世界大会(快医学)」をやった。世界から32カ国参加、日本からも瓜
   生さんはじめメキシコの岩本医師、望月さんや「つぶつぶクッキング」の大谷さん一
   家など14名が参加してくれた。それまで10年以上快医学を前面に押してやって来が
   その良さも限 界も感じるところがあって脱皮すべき秋だと考えていた。大会での議
   論や大会後のウイスキーを交えた日本人だけでの2日間にわたる熱い議論については
   大会総括記(バイオヘルス・ジャパン発行の「BIO HEALTH」に書いた)が、それを含
   めて何故我々が快医学の隊列を離れたのか、そして手を携えてゆくのか要点を二つ挙
   げておきたい。
1)「健康」は本来医療や治療と何の関係もない。まったく別次元の問題だ。医療は医療 
   階級の生きる手段であり治療は治療階級の生きるツールだ。「悩める者」(病者)
   が主体になっていない。健康とは生きる元気、生きる喜びだ。我々の生命が宇宙・
   自然の生命運動と結びついた状態だ。だから生命の躍動「BIOHEALTH」は医療、治療
   の概念、方法、「治すもの」と「治されるもの」の関係を洗い直し、「健康」を独立
   させた。これで医療階級の独占物になっている「医事法」との問題も解消された。血
   なまぐさい中南米では快医学の普及にあたり行政当局、医師会、妖術師、代替医療グ
   ループとの多くの軋轢、摩擦、4次に亘る「尿戦争」や4つの裁判も経てきた。瓜生
   さんの快医学では「代替医療」の限界を超えられない。「医療」「治療」を越えなけ
   れば本当の「健康」はない。
2) 病のもとになっている我々の生活の在り方、習慣、つまり「文化」「文明」の在り
   方に理論上だけではなく実際上焦点を当てなければ世界が直面している現在の「危
   機」に対応できない。それだけでなく単なる上っ面の「治療グループ」になってしま
   う。「癌」「パンデミック」「サル痘」は本当の危機ではない。危機は24時間スマー
   トホンいじりの生活だ。蔓延した遺伝子転換やマクドナルドの生活だ。クスリ漬け、
   ワクチン信仰、医療マフィアの洗脳でちょっと具合が悪くなると医者に診てもらう悪
   習だ。人間であることだけでなく「動物」であることすらやめたのだ。
   操体法、総統医学、アイロン、生命エネルギーテストは良いツールだが、元々が元気
   ならば不必要なものだ。元々を正すことが肝心なのだ。日常の「悪習」「文明」の在
   り方そのものに迫る。動くのだ。人間の食べ物を食べるのだ。飲尿は単なる排毒、病
   気治しの療法ではなく人類始原の魂を呼び起こす。動、食、尿、これが入口で誰にも
   できる。これだけでも十分だ。習わなくともできる。するとすべての「知識」「技
   術」も生きてくる。こうして「病気にならない身体」「生きる喜び」が生まれ「人助
   けが」生きがいになる。人間本来の処へ帰るのだ。
3) すべてをもっと単純化する。 現代に「縄文=弥勒文明」を再現する。そう!複雑か
   ら単純へ。競争から共生へ。快医学からBIOHEALTH へ!!  Gracias 

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