2022-05-02

参加者のマイクはオン・オフ自由

 参加者のマイクは基本的に、毎日の運動の間は、オン・オフ自由で、開催者側から強制ミュート(オフ)にはしておりません。

毎日の運動は、繰り返しのリズム運動がほとんどで、細かい説明も必要としませんし、仮に参加者のマイクから大きな音が入って来たとしても、そのことで、運動が大きく妨げられることは無いかなと思っております。

また、私が、気功を習っていた頃(講習会オタク的にですが、笑)に、津村喬先生が、「中国の有名なある気功家は、練功をする時は、いつも交差点や、雑踏、喧噪の中でする」と聞いたことがありました。

また、瞑想というと思い出すお話があります。これも津村先生からお聞きした話です。昔、ネイティブアメリカンの酋長?をお招きして瞑想会をしたことがありました。シーンと静まり返った会場で、子供が泣きだしたそうです。そうすると、まわりの大人たちは、ちょっと迷惑そうな顔をして、そのお母さんは、申し訳なさそうに、子供を連れて会場から出ていこうとしたそうです。すると、その酋長は、出て行こうとするお母さんと子供に、「ちょっと待ってください。出て行かないで。」と言ってから、会場のみなさんに「今、私たちは、私たちの未来の平和のために、お祈りをしているのではないのですか?子供は、私たちの未来です。その未来が、泣いてうるさい、と言うのなら、うるさいと思う、あなたが出て行くべきではありませんか? 」と言われたそうです。

よく、瞑想、メディテーションというと、静かな森の中、澄んだ静まり返った湖のほとりで、な~んてイメージがピッタリきそうではありますが、もちろん、そんなところでできたら気持ちも直ぐに落ち着いて、いいのかもしれませんが、反対に、そんな環境にいるなら、わざわざ改まって瞑想なんてする必要も無いのかな、と思ったりもします。まあ、サバイバル的に瞑想をする現代社会では、騒がしい中に居ても、静かな森の中にいるような心持ちになれたりしたら、瞑想するメリットもあるのかなと思ったりします。

現代社会の中では、日々、自分の予期しない雑音や、心落ち着かないことが多々ありますが、ちょっと軽く腕を繰り返し振ってみたりしていると、そのうち、少し、肩もほぐれて来て、気分もそれにつれて軽くなるかもしれません。動く禅は、静かにじっとしている座禅などよりも、多くの人にとってより簡単で、やりやすいかもしれませんね。

 

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